1926年 |
山形県山形市生まれ。本名 高橋 東(あづま) |
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1935年 |
二科会会員、三沢喜之助氏に、デッサンと水彩画を学ぶ。 |
1940年 |
日本画家、朝一圭鳳氏に入門して日本画を学ぶ。 |
1941年 |
カリエスを発病し、闘病生活を送る。 |
1946年 |
洋画家、金山平三氏に師事し、徹底した油絵技法を学ぶ。 |
1947年 |
独学で、書道の勉強を始める。 |
1948年 |
第1回目の写生行脚の旅に出るも、当時の食糧事情の為、途中断念する。 紙の魅力に取りつかれ、福井県今立町のある製紙所に寄宿し、越前画仙や因州和紙の出来るまでを見て回る。この年、初の個展を開く。 |
1949年 |
大阪ホルベイン絵具会社に寄宿し、絵の具の出来るまでを勉強する。 |
1950年 |
看板屋を開業し、そのかたわら絵を描くことになる。 |
1960年 |
肉体的、物質的、金銭的疲労が重なりカリエスを再発し入院。大手術をうける結果となり、看板屋を廃業することになる。 |
1961年 |
入院中、東北書道会に入会し、高橋鳳翆氏に師事し、書道にも熱を入れる。後に、東北書道会副会長となる。 |
1962年 |
入院中描きためた油絵を、病院の厚意と協力で、個展を開催する。 |
1963年 |
ようやく退院し、再び本格的に絵に取り組み始める。たとえ野たれ死んでも、絵を描き続けるべく一大決心をする。 |
1965年 |
貧乏よ来るなら来い。と開き直ってから、かえって人生が開け、精力的に油絵と墨絵と書の制作を続ける。念願の全国写生行脚の計画を再び練り始める。 |
1968年 |
第2回目の全国写生行脚に出発。北海道、東北を廻る。帰って個展を開く。 |
1969年 |
写生行脚2年目。北陸、山陰、山陽、四国、九州を廻る。帰って個展を開く。 |
1970年 |
3年目、最後のコース。東北、関東、中部、近畿を廻り、沖縄を除く写生行脚を完成する。この3年間、全国の紙漉き村を探訪し、紙の出来るまでと、奈良の墨運堂に寄宿し、墨の出来るまでを体験実習する。この年も個展を開く。 |
1971年 |
以来、東京銀座・浦和・札幌・仙台・山形など各地で毎年個展を開く。 |
1987年 |
皇室の常宿として有名な山形県上山市の村尾旅館に、師・朝一圭鳳氏が残された襖絵を、天皇のご宿泊を機に修復する。 |
1992年 |
3回目の全国写生行脚の旅に8年かけて取り組み、その成果を、日貿出版社「季刊水墨画」にシリーズで掲載し、また、多くの著作物で紹介して行く。 |
2002年 |
7月、69回目の個展を東京銀座で開催する。 |
2003年 |
5月、春の蔵王が展望できる上山の自宅にて死去。78歳。 |